マクロ的な視点では金は命より重い
「金」と「命」、どちらが大事なのかを知り合いに聞かれたのでその答え。
マクロ的に見れば金は命よりも重く、ミクロ的に見れば命は金よりも重い。
例えばとある子供が世界でもあまり例のない難病にかかったとします。治療の為には海外の最先端の病院へ行く必要があり、保険も利かず、助かる可能性も50%程度。かかる治療費は2億程度が予想される。
この時、ミクロ的な視点、当事者、例えばその子の親の視点から見れば2億であろうと3億であろうと、その子の命は金よりも尊い。なんとかして金を集めようとするでしょう。
ただ、それをマクロ的な視点、例えば国という視点から見れば、2億あればもっと別の使い方が出来る。福祉の充実により生きるに困っている人間数十人の生活保護を拡張できるかもしれない。人1人の命を救う為に2億を払うことはできない。
つまり、マクロ的に見れば2億円はその子の命よりも尊い。もしくは2億円を利用すればその子の命を救うよりもより多くの人間を救える。だからその子の命は2億円の価値を持たない。そう言うことができる。
もう1つ、そういった奇麗ごとではない視点を出しておきます。あなたの元に1人の人間が訪ねてきました。その人はあなたの既知の人間で、とある慈善事業団体で働いている人です。彼はアフリカの子供を救う為に、あなたに10万の寄付を依頼します。あなたは年収500万程度を得ている1人暮らしの男性で、10万はけして払えない額ではありません。しかしあなたはその時、そのお金で薄型テレビを買おうと思っていました。
尋ねてきた人はこう言います。「あなたが10万を出してくれれば、20人の命が巣食えるのです」と。あなたはその人の話を聞いて、薄型テレビと20人の命を天秤にかけます。
さて、あなたはどちらを選びますか?
他人の命が大切なら、あなたの人生を他人を助ける為にもっと使えばいい。世界中の人間がその気になれば、世界中の人間が生きられる社会くらいなら作れる。その程度の生産性が今の世界にはある。でも、そうはなりません。
マクロ的な意味での金と命の比較。その答えは実は、あなたの欲望を満たすのと、見知らぬ他人の命を救うこと、どちらが重要か、それを問うていることと同じなのかもしれません。
マクロ的に見れば金は命よりも重く、ミクロ的に見れば命は金よりも重い。
例えばとある子供が世界でもあまり例のない難病にかかったとします。治療の為には海外の最先端の病院へ行く必要があり、保険も利かず、助かる可能性も50%程度。かかる治療費は2億程度が予想される。
この時、ミクロ的な視点、当事者、例えばその子の親の視点から見れば2億であろうと3億であろうと、その子の命は金よりも尊い。なんとかして金を集めようとするでしょう。
ただ、それをマクロ的な視点、例えば国という視点から見れば、2億あればもっと別の使い方が出来る。福祉の充実により生きるに困っている人間数十人の生活保護を拡張できるかもしれない。人1人の命を救う為に2億を払うことはできない。
つまり、マクロ的に見れば2億円はその子の命よりも尊い。もしくは2億円を利用すればその子の命を救うよりもより多くの人間を救える。だからその子の命は2億円の価値を持たない。そう言うことができる。
もう1つ、そういった奇麗ごとではない視点を出しておきます。あなたの元に1人の人間が訪ねてきました。その人はあなたの既知の人間で、とある慈善事業団体で働いている人です。彼はアフリカの子供を救う為に、あなたに10万の寄付を依頼します。あなたは年収500万程度を得ている1人暮らしの男性で、10万はけして払えない額ではありません。しかしあなたはその時、そのお金で薄型テレビを買おうと思っていました。
尋ねてきた人はこう言います。「あなたが10万を出してくれれば、20人の命が巣食えるのです」と。あなたはその人の話を聞いて、薄型テレビと20人の命を天秤にかけます。
さて、あなたはどちらを選びますか?
他人の命が大切なら、あなたの人生を他人を助ける為にもっと使えばいい。世界中の人間がその気になれば、世界中の人間が生きられる社会くらいなら作れる。その程度の生産性が今の世界にはある。でも、そうはなりません。
マクロ的な意味での金と命の比較。その答えは実は、あなたの欲望を満たすのと、見知らぬ他人の命を救うこと、どちらが重要か、それを問うていることと同じなのかもしれません。
4強発言は常套手段
どこぞの国のサッカー代表監督が「W杯4強」という目標を立てているそうな。
この「4強」という発言はメンタルコントロールの面では常套手段と言える。何らかのチームを組んで仕事をやったことがある人間であれば分かると思うが、団体で1つの作業をする際には目標が必要になる。目標は明確であればあるほど良い。
漠然とした目標しかなく、何をして良いかその場その場で上司に聞かなければ正しい判断が出来ない職場は、作業時間よりも考える時間が長くなり、効率も悪く疲れやすい。
逆に明確な目標があって、自分が何をすればそれに対して役に立てるかが明確になっている職場は、作業に集中でき成果も上がり易い。
「自分たちは4強を目指す」という目標を浸透させるのは、チームのマインドを統率する上では、非常に良く使われる古典的な手法と言える。それを取り上げて、4強は可能なのかと真面目に取材している人間を見ると、少し小首を傾げたくもなるが、それは今回は置いておこう。
では、4強という目標は妥当なのだろうか。どこぞの国のレベルは、組み合わせにもよるが、予選を突破するのがやっと(突破できない確率の方が高い)といったところにいる。現実的に目標を考えれば「予選突破を目指して頑張ろう」ということになるが、だからといって今の段階からその目標を掲げていて良いかというと、必ずしもそれが正しいとは言えない。目標は現実よりも少し高いところに掲げた方が良い効果を生むことが多いからだ。但し、高過ぎるとそれは現実味を持って受け取れなくなり、目標としての意味が薄れてしまう。
そう考えると、今回立てる目標は8強辺りが妥当なのではないかと私は思う。ただ、4強という目標を立てて、それをチーム全員が本気にして、それに向けて考え行動できるのであれば、8よりも4という数字が力を持ってくる。その辺りのマインドの扱いは得意としているようなので、その監督にとっては4という数字が正解だったのだろう。
この数字設定が成功だったか失敗だったかは、1年後に収めた結果ではなく、これから1年間、選手たちがどこまでそれを信じて進んだかによって判断できる。
結果は時の運によって左右されるが、選手のモチベーションは運には左右されない。
この「4強」という発言はメンタルコントロールの面では常套手段と言える。何らかのチームを組んで仕事をやったことがある人間であれば分かると思うが、団体で1つの作業をする際には目標が必要になる。目標は明確であればあるほど良い。
漠然とした目標しかなく、何をして良いかその場その場で上司に聞かなければ正しい判断が出来ない職場は、作業時間よりも考える時間が長くなり、効率も悪く疲れやすい。
逆に明確な目標があって、自分が何をすればそれに対して役に立てるかが明確になっている職場は、作業に集中でき成果も上がり易い。
「自分たちは4強を目指す」という目標を浸透させるのは、チームのマインドを統率する上では、非常に良く使われる古典的な手法と言える。それを取り上げて、4強は可能なのかと真面目に取材している人間を見ると、少し小首を傾げたくもなるが、それは今回は置いておこう。
では、4強という目標は妥当なのだろうか。どこぞの国のレベルは、組み合わせにもよるが、予選を突破するのがやっと(突破できない確率の方が高い)といったところにいる。現実的に目標を考えれば「予選突破を目指して頑張ろう」ということになるが、だからといって今の段階からその目標を掲げていて良いかというと、必ずしもそれが正しいとは言えない。目標は現実よりも少し高いところに掲げた方が良い効果を生むことが多いからだ。但し、高過ぎるとそれは現実味を持って受け取れなくなり、目標としての意味が薄れてしまう。
そう考えると、今回立てる目標は8強辺りが妥当なのではないかと私は思う。ただ、4強という目標を立てて、それをチーム全員が本気にして、それに向けて考え行動できるのであれば、8よりも4という数字が力を持ってくる。その辺りのマインドの扱いは得意としているようなので、その監督にとっては4という数字が正解だったのだろう。
この数字設定が成功だったか失敗だったかは、1年後に収めた結果ではなく、これから1年間、選手たちがどこまでそれを信じて進んだかによって判断できる。
結果は時の運によって左右されるが、選手のモチベーションは運には左右されない。
インフルエンザ騒動はシステムとしては自然
新型インフルエンザ騒動が一息ついた。巷では規模の割に騒ぎすぎだったのではないかという意見も出ている。
ところで、今回の件で騒いでいた人というのはどこにいるのだろう。私の周囲でも話題にはなっていたが、かかったらイヤだなという程度で強く不安に思っているような人は見あたらなかった。風邪気味の人を「新型じゃないの?」とからかったり、冗談のネタとして使われることすらあった。
メキシコで死亡率1%という情報が早くから入り、毎年発生しているインフルエンザと比べてもさして危険ではないという意識があったからだろう。
今回の件を騒ぎたかったのは「報道」と「政治」、「企業」の3点であり、一般的には(不幸にも報道の餌食になった人を除いて)何も騒がれていなかったというのが真相だろう。
その中でも、企業は工場などで流行し生産が停止する等のリスクも恐れてはいただろうが、それ以上に報道が目を付けている分野で失敗をして企業イメージを落とすのを恐れて対応していた部分が強い。
となると、実際に騒いでいた(騒ぎたかった)のは「報道」と「政治」の2つになる。
恐怖をあおることがお金になることは昔から知られている。報道は恐怖を覚えるようなことを繰り返し伝えることで視聴率を上げ、スポンサーフィを稼いでいる。政治は選挙を間近に控え、なんとかして点数を上げようと必死だ。
彼らは騒ぐ必要があったので騒いだ。それはシステム的に当然のことであり、誰が悪いという話でもない。この国はそういうシステムで動いているのである。
騒いだこと自体もあながち悪いこととも言えない。芸能人が酔っぱらって裸になった事件を克明に報道する代わりにインフルエンザで騒いでいたと考えれば、比較的マシとすら思える。
今回の騒動は基本的に、現状のシステム上に新型インフルエンザという情報を乗せた際に起こりうる、ごく自然な反応だったと思って良いだろう。
もし今回の騒動が不自然だと感じるなら、それは現状のシステムが不自然ということになる。では、何を改善すれば自然な反応ができるようになるだろうか。おそらく正確な解答を持っている人間などいないだろう。
少なくとも今回の件で犠牲者は今のところ出ていない。それで良しとすべきだと私は思っている。
ところで、今回の件で騒いでいた人というのはどこにいるのだろう。私の周囲でも話題にはなっていたが、かかったらイヤだなという程度で強く不安に思っているような人は見あたらなかった。風邪気味の人を「新型じゃないの?」とからかったり、冗談のネタとして使われることすらあった。
メキシコで死亡率1%という情報が早くから入り、毎年発生しているインフルエンザと比べてもさして危険ではないという意識があったからだろう。
今回の件を騒ぎたかったのは「報道」と「政治」、「企業」の3点であり、一般的には(不幸にも報道の餌食になった人を除いて)何も騒がれていなかったというのが真相だろう。
その中でも、企業は工場などで流行し生産が停止する等のリスクも恐れてはいただろうが、それ以上に報道が目を付けている分野で失敗をして企業イメージを落とすのを恐れて対応していた部分が強い。
となると、実際に騒いでいた(騒ぎたかった)のは「報道」と「政治」の2つになる。
恐怖をあおることがお金になることは昔から知られている。報道は恐怖を覚えるようなことを繰り返し伝えることで視聴率を上げ、スポンサーフィを稼いでいる。政治は選挙を間近に控え、なんとかして点数を上げようと必死だ。
彼らは騒ぐ必要があったので騒いだ。それはシステム的に当然のことであり、誰が悪いという話でもない。この国はそういうシステムで動いているのである。
騒いだこと自体もあながち悪いこととも言えない。芸能人が酔っぱらって裸になった事件を克明に報道する代わりにインフルエンザで騒いでいたと考えれば、比較的マシとすら思える。
今回の騒動は基本的に、現状のシステム上に新型インフルエンザという情報を乗せた際に起こりうる、ごく自然な反応だったと思って良いだろう。
もし今回の騒動が不自然だと感じるなら、それは現状のシステムが不自然ということになる。では、何を改善すれば自然な反応ができるようになるだろうか。おそらく正確な解答を持っている人間などいないだろう。
少なくとも今回の件で犠牲者は今のところ出ていない。それで良しとすべきだと私は思っている。
予定通りに楽天をつつく報道発生
薬品のネット通販禁止問題で派手に騒いだ楽天。闘った相手が国家権力の中でも相当抗いがたい人たちだったので、何か報復的な報道が発生すると思っていたところに、予定通りの今回の件。あまりに分かりやす過ぎて笑える。
楽天という会社自体も急成長した歪を覆い切れていない部分があるが、今回の問題は具体的に情報漏えいが実証された段階ではなく、軽いネット上の情報を拾ってそこから粗捜しをしてみたという内容。どこぞの元党首の時と流れ的には同じだと思って良い。
すねに傷を持つ人間が凋落するのは別に良い。だが、権力を使って不自然に何かを潰すのが当たり前になっている現状は、なんとかして欲しいものだ。そして、こんな分かりやすい情報を何も感じずに鵜呑みにする人間にもなんとかなってもらいたい。
楽天という会社自体も急成長した歪を覆い切れていない部分があるが、今回の問題は具体的に情報漏えいが実証された段階ではなく、軽いネット上の情報を拾ってそこから粗捜しをしてみたという内容。どこぞの元党首の時と流れ的には同じだと思って良い。
すねに傷を持つ人間が凋落するのは別に良い。だが、権力を使って不自然に何かを潰すのが当たり前になっている現状は、なんとかして欲しいものだ。そして、こんな分かりやすい情報を何も感じずに鵜呑みにする人間にもなんとかなってもらいたい。
支持率を心象で決める人々
最近、支持率の調査が頻繁に行われ、それによって国会議員が右往左往する事態が起きている。
支持率によっては半年後に自身が無職になる可能性があるわけだから、気にするのも当然の話だ。
支持率によって政策が変化するということは、新聞社などに対する回答が、選挙以外で有権者が意思表示できる有効な手段となるわけである。
これは国民の意思が反映されやすくなって良いと取ることもできる。だが、その意志表示が直感的、直情的に為されていたとしたら、政府が長期的な政策よりも短期的に効果が出て人気も出来る政策を重視するようになってしまう。
例えば良いサッカークラブのトップは、チームの方向性を定めた上で監督を固定し、長い期間をかけて成果を待つ。逆に悪いクラブのトップは、毎年のようにシーズン途中で監督を解任し、場当たり的な対応をする。
支持率が長期的な展望を持たず「場当たり的」な思考によって発生し、それによって政策が左右するという流れになれば、短期的で効果の薄い政策が横行することになるだろう。
良い選手がいても、クラブのトップがダメでは低迷する。良い人材がいても、国民がダメでは政治は疲弊する。全ては自身の選択にかかっているという自覚を多くの人間が持ってくれれば良いのだが。
支持率によっては半年後に自身が無職になる可能性があるわけだから、気にするのも当然の話だ。
支持率によって政策が変化するということは、新聞社などに対する回答が、選挙以外で有権者が意思表示できる有効な手段となるわけである。
これは国民の意思が反映されやすくなって良いと取ることもできる。だが、その意志表示が直感的、直情的に為されていたとしたら、政府が長期的な政策よりも短期的に効果が出て人気も出来る政策を重視するようになってしまう。
例えば良いサッカークラブのトップは、チームの方向性を定めた上で監督を固定し、長い期間をかけて成果を待つ。逆に悪いクラブのトップは、毎年のようにシーズン途中で監督を解任し、場当たり的な対応をする。
支持率が長期的な展望を持たず「場当たり的」な思考によって発生し、それによって政策が左右するという流れになれば、短期的で効果の薄い政策が横行することになるだろう。
良い選手がいても、クラブのトップがダメでは低迷する。良い人材がいても、国民がダメでは政治は疲弊する。全ては自身の選択にかかっているという自覚を多くの人間が持ってくれれば良いのだが。



